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2006年2月20日 (月)

羊たちのワールドカップ

 スポーツジャーナリストの金子達仁さんがおもしろいコラムを書いている。――2/20付朝日新聞朝刊オピニオン面<時流自論>

 10年前、バルセロナの語学学校へ留学していた時の経験を書いたものだ。
 授業中、先生が講義しているのに、生徒たちは平気で、コーラやジュースを飲んでいる。これはとんでもない不真面目な態度であり、金子さんの感覚では、当然怒られると思ってしまった。 

 わたしの中には「教師=自分よりは偉い人」という刷り込みがなされていた。教師とは教える師であり、先生とは先に生まれた人である。生徒との関係は、決して対等ではない。

 金子さんは、1966年生まれだから、1996年当時はちょうど30歳。
 フリーで食えるようになる前の話であって、己の人生に確信をもつには至っていない時代とはいえ、これは日本人としてごく平均的な感覚だろう。 

 それだけに、教師を「自らが向上していくためのパートナー」としか見ていない各国留学生の姿は、ちょっとしたカルチャーショックだった。親しくなっていくうち、彼ら、彼女らが「教師に怒られる」という経験をほとんどしていないこともわかった。 

 話の趣旨は、サッカー日本代表の現状へと進展する。 
「日本の選手はコーチがいうことを実行するだけなんだ」
 
 ジーコ監督が、ブラジルでそう嘆いたそうだが、これはサッカーに限られた話ではない。決して「どうせスポーツXXの連中の話で、ヒデだけ特別なんだ」などと言ってはいけない。
 もっとも、話をサッカーに限定するのが、職業上(サッカージャーナリスト)の意識なのか、彼の限界なのか? その辺、ちょっともったいない気もする。
 閑話休題。
 ことは、自立の問題である。
 一神教の文化では、自然は対立するものであり、人々は神の前でひとりの個として立たされる。保護してくれるものはいない。それに対して、多神教、無神教、なんだかわからない国、日本は違う。自然はともにあるもので、人々はあくまで全体の調和の中で存在するのだと言われる。
 ――大自然orムラなのかは、置いておく。
 東アジアの国々。中国、朝鮮の儒教文化も関係している気がするが、これも別論。是非を論じはじめるときりがない(´ヘ`;) 
 外部からのインスリン投与、糖質の吸収制限用の薬。それぞれは、あくまで補助的なものであって、血糖管理の基本は食事療法である。必要なエネルギーを食べて、それが体内で無駄なく代謝されるようにして、余剰は極力ださない!
 なりゆきのまま――「自然に」という表現で暮らして問題が起きないなら、なにもする必要はない。
 それがうまく行かなくなったのが糖尿病――糖代謝機能不全であるわけだから、合併症や、そのリスクを抱える高血糖症状があるなら、分析的対応をすべきであり、その時、自分の体は攻略すべき(敵対する)対象である。荒ぶる自然!

 サッカーファンのシステム議論のように、言われたとおり指示食事量を食べたところで、血糖値/ヘモグロビンA1cが安定するとは限らない。
 季節によって成分量が違っていたり、料理の仕方で吸収状況が変化――GI指数が上がったり下がったりする(選手の技術が下手)場合もあるし、余計な分泌(相手が上)で狂うこともある。代謝は教科書どおりに働くとは限らない。サッカーゲーム同様、何が起きても不思議はないのだ。
 教師(医師)の言うテーラーメード(原則的論理)ではなく、常に自分だけのオーダーメード(いきあたりばったり)で対応しなきゃいけない。
 好きなときに山ほど食べて、その分をどこかで減らしたり!
 医師、栄養士、理学療法士、それぞれをうまく利用して、自分の論理で組み立てないと美味しい生活はできない。1998フランスワールドカップのように、惜しい試合で3連敗するようじゃ「善戦!」と医師に称えられても、不愉快なだけ。そう思いませんか? 
 ――うううむ、変な文章(´ヘ`;) いつもそう? はははは(´ヘ`;)

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